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第9城 ~No.51 安土城~その1 [100名城スタンプ]

次は安土城です。ここもぜひとも来たかった城跡です。
やはり織田信長に興味があるんですよね。
なので安土は信長に関する見所がたくさん。

まず観光案内所で教えてもらったのが活津(いくつ)彦根神社
1576年(天正4年)織田信長安土城を築くにあたり、ここで国家安寧五穀豊穣など祈念したそうです。
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セミナリヨ跡です。オルガンチーノ神父により高山右近などの援助を受けここにカトリック小神学校を造りました。たびたび信長もここを訪れていたとか。綺麗に整備されていて桜がきれいでした。
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山の麓に石垣が連なっているのが遠くからも見えました。
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発掘調査が進み、石垣も復元されていました。ここは大手門の西に位置する場所に築かれた虎口です。礎石もいくつか見つかっているので何か建物が建っていたのではないか、更にはこの虎口の西側には物見櫓のような物も建っていたのではないかと推測されているようです。
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東へ進みます。また虎口がありました。大手門の西側にある虎口で、二度折れして入る枡形虎口とそのすぐ東側には平入り虎口と呼ばれる門があり、その大きさから櫓門があったのではないかと言われているそうです。
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ここは大手門の東側にある虎口で、礎石が残っていないので規模はわからないですが門があり、この上段には屋敷があり、賓客をこの虎口から招き入れ屋敷へ案内したのではないかと考えられています。
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大手道の正面に大手門があったと思われます。織田信長が門を三つ作ったのは、安土城に天皇の行幸を計画していたので、京の内裏を真似て三門にしたのではないかと考えられているそうです。
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さあ大手道を登って行きましょう。天主跡まで405段って書いてあります。
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横に広く真っ直ぐと伸びた大手道です。普通大手道は狭く枡形にするなどして、敵が攻めにくいように作るものなのに、こんな広々とした大手道を作るなんて織田信長の発想って本当に凄いなと思います。
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しかもこの大手道には石仏をいくつも使っています。神も仏も何とも思っていなかった、と言われていますが、実はこの時代石垣などの普請にはこういう石仏を転用することは多かったようです。
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大手道を少し登ると左側に羽柴秀吉が住んでいたと伝わる屋敷跡があります。入口には大きな櫓門が建っていて、最古の物ではないかと言われているそうです。下の広場になっている所にはがあり、この石垣の上には大手道に面して高麗門があり重層の隅櫓が建ち防御も固く、門の先には台所、更に奥には主殿が建っていたようです。この広さと石垣の高さを見ても、とても立派な屋敷が建っていたんだろうなと想像できます。
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羽柴秀吉屋敷跡大手道を挟んだ向かい側には前田利家屋敷跡です。今は狭いですが、規模は大きく羽柴秀吉と同じくらいの櫓門があり、更には多門櫓隅櫓などもあり防御性が高い屋敷だったようです。
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大手道をだいぶ登りました。もうすぐ曲がり角です。
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振り返って見ます。結構な高さなのがわかります。麓も町も小さく見えます。
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広い大手道を登り切ると左側にあるのが武井夕庵屋敷跡と伝わる場所があります。武井夕庵は元々斎藤道三に仕えその後織田信長に仕えました。信長の右筆であり茶人と言われていて、信長にも何度も讒言したという武将です。
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更に進むと右側に織田信長の嫡男、織田信忠屋敷跡があります。この道を右に行くと天主へ、そのまま真っ直ぐ行くと総見寺跡に行きます。まずは天主を目指します。
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天主への道はまだまだ続きます。
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織田信澄邸跡、森蘭丸邸跡もありました。
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その2へ続く。

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