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【続】第2城 ~No. 191 中津城~ [続100名城スタンプ]

2019年10月13日、大分県の中津城にやって来ました。
福岡城に続く、黒田官兵衛ゆかりのお城で、今回の旅の中でもとても楽しみにしていたお城です。『軍師官兵衛』好きとしてはテンション上がるスポットばかりです。

駅を出てすぐ、とても情緒のある場所がありました。川に架かる朱色の欄干と柳の木。城下町という雰囲気です。
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町にはこんな物もありました。くろかんくんのマンホール。そして黒田官兵衛を紹介するパネル。
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中津城は、1588年(天正16年)に黒田官兵衛が築城を始め、関ケ原の戦い後は細川忠興が城主となり完成しました。中津城日本三大水城の一つと数えられています。あと二つは高松城今治城だそうです。これもいつか行かねば。

まず見えてきたのは鳥居です。中津神社って書いてあります。中津城がある一体全体が公園となっていて、ここがその入り口です。
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この鳥居の手前には当時の石垣を復元したものがあります。穴太衆の技法で自然の石を積んだものです。石垣は両端より中央が少し傾斜していて、上から見ると緩やかな弧を描いています。これを輪取りというそうです。力を内側に集中させ崩れにくくしているのだそうです。この石垣の向かい側には中津市歴史博物館がありますが、オープンが2019年11月だったので、私は訪れることが出来ませんでした。次回中津へ行ったらぜひ行きたいです。
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天守へ行く前にまずお参りです。中津大神宮です。豊前の国のお伊勢様として地元の人々に親しまれているそうです。
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城井神社です。元々この地は鎌倉時代から宇都宮家が治めていました。黒田官兵衛がこの地を豊臣秀吉から与えられると、宇都宮鎮房は伊予へ国替えを命じられます。しかし、先祖代々ここで暮らしてきた宇都宮氏はその命に背き、黒田と戦うことになります。結局宇都宮鎮房黒田長政により謀殺されますが、その後長政は城内に社を建て、鎮房城井大明神として祀りました。
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扇城神社です。城井神社のすぐ横にあります。謀殺された宇都宮鎮房のために戦い討ち死にした重臣たちを祀っています。
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西南戦争の時の中津隊隊長、増田宋太郎の碑もありました。
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これが中津神社です。明治に市内にある神社五社の御分霊を合わせて祀り中津神社としたのだそうです。最初に見た鳥居はこの神社のものですね。
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中津神社の横から中津川へ出られます。黒田の石垣への案内板がありました。
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ここの石垣は城の北側を流れる中津川に面していて、この写真でいうと中央の石垣が一段引っ込んでいますが、その部分が鉄門跡です。当時は開いていて川が直接本丸に繋がっていたようです。
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さあ天守にやって来ました。実際は天守は建てられなかったようですが、1964年(昭和39年)旧藩主奥平昌信氏が中心となり、模擬五重天守二重櫓を建てたそうです。天守の中は奥平家歴史資料館になっています。模擬とはいえ天守が建っているとやはりお城はカッコいいですよね。
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天守からの眺めです。
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宇都宮鎮房の居城があった城井谷方面です。中央のポコっとした山の右側の方向だそうです。
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内堀を見下ろしています。内堀は当時のままだそうです。ここは水門から海水が入ってきているので、潮の満ち引きがあるそうです。
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内堀の外側に回って来ました。天守と櫓です。中津城、カッコいいいです!
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本丸の北東側にある石垣です。ここは黒田時代と細川時代の石垣が接した継ぎ目があります。右側が黒田時代、左側が細川時代だそうです。黒田官兵衛はこの石垣を築く際、川の上流にあった古代の城唐原山城という所から持ち出された石を再利用したんだそうです。7世紀の頃の石ですが綺麗に加工されていたんですね。こういう遺構を見るとテンション上がります。
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そしてその石垣の前には黒田官兵衛と妻のの像が並んでいました。お家存続のため側室を持つのが普通の時代に、官兵衛は正室しか持たなかったそうです。後世にこうして二人並んで像になるなんて本人たちも驚いているでしょうね。
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城の東側には寺町と呼ばれる城下の防衛のために造られた地域があります。ここには黒田官兵衛ゆかりのお寺がいくつかあります。
まずは西蓮寺官兵衛の末弟が1588年(天正16年)に開きました。中をちょっと覗かせてもらいましたが、特に何もなく誰もいなかったので、そっと出て来ました。
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次は円応寺です。1587年(天正15年)に黒田官兵衛の開基によって建立された浄土宗のお寺で、開山は見道和尚。1600年(慶長5年)に見道和尚は黒田に従って福岡に移り円応寺を開きました。
境内には河童のお墓と呼ばれる五輪塔があり、これは黒田二十四騎のうちの一人野村太郎兵衛のお墓とも言われているそうです。
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ここはぜひとも来たかった合元寺です。黒田官兵衛とともに姫路から移ってきた空誉上人が開いたお寺です。宇都宮鎮房中津城で謀殺された時、彼の家臣たちがこの寺を拠点として黒田勢と奮戦しましたがことごとく斬られ、ここの白壁はその血で真っ赤に染まったそうです。その後、壁を何度白く塗りなおしても血痕が消えず、ついには赤く塗ったということです。
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夜は中津城がライトアップされていました。ちょうどイルミネーションのイベントをやっていました。
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こういうライトアップも天守があるからこそですね。実際に訪れて大好きなお城になりました。
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