番外編 その6~旧二条城~ [その他のお城]
2020年11月17日。
旧二条城跡にやって来ました。
と、言っても交差点の角に碑が建っているだけでした。
ここは織田信長が将軍足利義昭のために建てた二条城です。
ちょうど大河ドラマ『麒麟がくる』で足利義昭が二条城に入った話を観たばかりだったので、このポツンと建つ碑を見るだけでも、なんだか感慨深かったです。
旧二条城跡にやって来ました。
と、言っても交差点の角に碑が建っているだけでした。
ここは織田信長が将軍足利義昭のために建てた二条城です。
ちょうど大河ドラマ『麒麟がくる』で足利義昭が二条城に入った話を観たばかりだったので、このポツンと建つ碑を見るだけでも、なんだか感慨深かったです。
2021-05-08 23:37
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番外編 その5~坂本城~ [その他のお城]
2020年11月16日、1年ぶりのお城巡りです。今回は京都・滋賀の旅です。
まずは坂本城。
この日は比叡山に行った後、レンタサイクルで坂本の町を巡りました。
穴太衆の石垣が町のあちこちにあるのを見てテンションが上がりました。
坂本城本丸跡です。
ここは以前、琵琶湖の中に坂本城の石垣が沈んでいるのが発見されて大変話題になった場所です。
今はその石垣もほんのわずかに見えるだけなんだそうです。
ここにはボランティアの男性がいて、明智左馬之助の湖水渡の話など色々説明してくださいました。
対岸には安土方面が見えました。安土城が燃えているのもここからならよく見えたでしょうね。以前安土城を訪れたので感慨深かったです。
少し移動して坂本城址公園にやって来ました。ベンチもあって整備された公園になっています。
明智光秀像がありました。でもなんか、ずんぐりむっくり?
この後、明智一族のお墓もある西教寺に行きました。ここの門は坂本城から移築されたものと伝わっているそうです。中には伏見城から移築されたという客殿があり、ちょっと興奮しました。
境内の唐門には2匹の麒麟がいるそうで、必死に探しました。訪れたのは秋だったので夜はライトアップされていて、唐門越しに琵琶湖の夜景が見えてとても綺麗でした。
まずは坂本城。
この日は比叡山に行った後、レンタサイクルで坂本の町を巡りました。
穴太衆の石垣が町のあちこちにあるのを見てテンションが上がりました。
坂本城本丸跡です。
ここは以前、琵琶湖の中に坂本城の石垣が沈んでいるのが発見されて大変話題になった場所です。
今はその石垣もほんのわずかに見えるだけなんだそうです。
ここにはボランティアの男性がいて、明智左馬之助の湖水渡の話など色々説明してくださいました。
対岸には安土方面が見えました。安土城が燃えているのもここからならよく見えたでしょうね。以前安土城を訪れたので感慨深かったです。
少し移動して坂本城址公園にやって来ました。ベンチもあって整備された公園になっています。
明智光秀像がありました。でもなんか、ずんぐりむっくり?
この後、明智一族のお墓もある西教寺に行きました。ここの門は坂本城から移築されたものと伝わっているそうです。中には伏見城から移築されたという客殿があり、ちょっと興奮しました。
境内の唐門には2匹の麒麟がいるそうで、必死に探しました。訪れたのは秋だったので夜はライトアップされていて、唐門越しに琵琶湖の夜景が見えてとても綺麗でした。
2021-05-08 13:29
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番外編 その4~黒崎城~ [その他のお城]
2019年10月14日、小倉城を訪れた後、足を延ばして黒崎城へ行きました。ここはちょっとマニアックなお城かもしれません。
その前に春日神社を訪れました。ここは黒田二十四騎のうちの一人井上周防之房(『軍師官兵衛』で言うと井上九郎右衛門)が建立しました。
鳥居をくぐって階段を上るとだんだん社殿が見えてきました。ワクワクします。
春日神社です。
ここは黒田官兵衛・長政、黒田二十四騎を祀った神社で、黒田宮とも呼ばれています。黒田という文字が見えるだけでテンション上がります。中には黒田二十四騎の版画のレプリカが飾ってありました。奥に飾ってあったのでよく見えませんでしたが。
ここで御朱印を頂きました。その時お話を聞かせていただくと、飾ってある黒田二十四騎の絵は、元々はもっと大きな版画だそうで、絵が彫ってある版木はもう朽ちている部分もあるので、大河ドラマの時に刷ったのが最後かもしれないとおっしゃっていました。
例によって「黒田家ゆかりの地を巡っています」と言ったら色々親切にしてくださいました。ありがとうございました。
さて、いよいよ黒崎城へ向かいます。静かな住宅街を抜けてまあまあの坂道を登りました。もちろん徒歩です。
黒崎城は、1604年(慶長9年)福岡藩初代藩主黒田長政の命により、隣国との国境強化のために築城された六つの城のうちの一つです。城主は井上九郎右衛門です。しかし、1615年(元和元年)一国一城令によりわずか十数年で廃城になってしまいました。
眺めはこんな感じです。右のほうが黒崎駅の方向です。
春日神社でも「何もないですよ」と言われましたが、特に何もなかったです。
でもちゃんと碑は建っていました。私にとってはそれで十分です。
その前に春日神社を訪れました。ここは黒田二十四騎のうちの一人井上周防之房(『軍師官兵衛』で言うと井上九郎右衛門)が建立しました。
鳥居をくぐって階段を上るとだんだん社殿が見えてきました。ワクワクします。
春日神社です。
ここは黒田官兵衛・長政、黒田二十四騎を祀った神社で、黒田宮とも呼ばれています。黒田という文字が見えるだけでテンション上がります。中には黒田二十四騎の版画のレプリカが飾ってありました。奥に飾ってあったのでよく見えませんでしたが。
ここで御朱印を頂きました。その時お話を聞かせていただくと、飾ってある黒田二十四騎の絵は、元々はもっと大きな版画だそうで、絵が彫ってある版木はもう朽ちている部分もあるので、大河ドラマの時に刷ったのが最後かもしれないとおっしゃっていました。
例によって「黒田家ゆかりの地を巡っています」と言ったら色々親切にしてくださいました。ありがとうございました。
さて、いよいよ黒崎城へ向かいます。静かな住宅街を抜けてまあまあの坂道を登りました。もちろん徒歩です。
黒崎城は、1604年(慶長9年)福岡藩初代藩主黒田長政の命により、隣国との国境強化のために築城された六つの城のうちの一つです。城主は井上九郎右衛門です。しかし、1615年(元和元年)一国一城令によりわずか十数年で廃城になってしまいました。
眺めはこんな感じです。右のほうが黒崎駅の方向です。
春日神社でも「何もないですよ」と言われましたが、特に何もなかったです。
でもちゃんと碑は建っていました。私にとってはそれで十分です。
2020-05-04 21:32
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番外編 その3 ~佐和山城~ [その他のお城]
次に目指すは佐和山城です。
彦根城とは駅を挟んで反対側です。
彦根駅には佐和山城や石田三成に関するものも。
窓から佐和山城が見えるようになっていました。
そして、イケメンの石田三成。
佐和山城が見えてきました。この看板は電車の中からも見えました。ワクワクしてきました。
さあ、山の麓にやって来ました。
佐和山城跡まで行くには龍潭寺の境内を通って行けます。
門が見えてきました。
この門の横には瓦を重ねた壁があります。防衛のためにこのような壁を作ったようです。
このお寺は地元の方々にはだるま寺として有名なのだそうです。実際たくさんのだるまさんがいましたよ。
龍潭寺は大河ドラマ『おんな城主直虎』にも出て来ましたが、あれは浜松。この龍潭寺は井伊直政が佐和山城主になったのを機にこの彦根に作らせました。初代の和尚は昊天さん。『おんな城主直虎』でお馴染みです。なので勝手に親近感が沸きます。
ここには枯山水の庭園があり、ふだらくの庭といわれるお庭です。
これは昊天和尚が作ったお庭だそうです。
平安時代の僧が中国に渡った後、観音様を抱いて帰国する時観音菩薩の導きによりある島に補陀落山寺を建てて観音様を安置されたという故事に因み、その様子を表したお庭だそうです。
真ん中の一番大きな石を観音様に見立て、白砂は海、右側の杉垣が水平線、その上の生垣は雲を表しています。
この書院も映画『関ケ原』で使われていました。
先ほどのふだらくの庭と書院を挟んで反対側にこの庭があります。鶴亀蓬莱庭園です。これも昊天さんと小堀遠州の合作だそうです。テンション上がります。
写真は2枚になってしまいますが、左の島を亀に右の槙木を鶴に見立てているそうです。そして亀島の左にあるのが直下型の枯れ滝龍門瀑というそうです。井伊直弼もこの庭を讃えたそうです。
ずっとお庭を見ていたいのですが、先に進みましょう。
さあ、いよいよ佐和山城本丸を目指します。なかなかの山道です。細い獣道のような所を登って行きます。結構急な坂道です。
だいぶ登ってようやく開けた所に出たので、本丸かと思ったらまだでした。塩硝櫓跡です。山道を挟んで右側には竪堀があるみたいですが、当時の私はまだそこまで詳しくなかったので完全に見逃してました。反省です。
ここまでで15分くらいはかかってますが、まだまだ上に登るようです。
今はほとんどお城の跡が残っていませんが、左側に西の丸、二の丸、三の丸が作られたようです。
狭い山道を30分くらい登ってようやくたどり着きました本丸跡です。結構ハードな道のりでした。
思ったより広々してました。桜もちょうど咲いています。眺めもよく彦根八景だそうです。
右のほうには彦根城も見えます。佐和口多門櫓が見えます。素晴らしい眺めでした。
龍潭寺まで降りてきました。境内には石田三成像がありました。温厚な人柄で民衆からも慕われたという石田三成。元々佐和山城は鎌倉時代初期佐々木定綱が築いたのが始まりと言われているそうで、その後幾度と城主が変わりましたが、やはり私は佐和山城主と言えば石田三成を思い浮かべます。
因みに京橋キャッスルロードに宗安寺があり、そこにある門は佐和山城の物と伝わっているそうです。
彦根城とは駅を挟んで反対側です。
彦根駅には佐和山城や石田三成に関するものも。
窓から佐和山城が見えるようになっていました。
そして、イケメンの石田三成。
佐和山城が見えてきました。この看板は電車の中からも見えました。ワクワクしてきました。
さあ、山の麓にやって来ました。
佐和山城跡まで行くには龍潭寺の境内を通って行けます。
門が見えてきました。
この門の横には瓦を重ねた壁があります。防衛のためにこのような壁を作ったようです。
このお寺は地元の方々にはだるま寺として有名なのだそうです。実際たくさんのだるまさんがいましたよ。
龍潭寺は大河ドラマ『おんな城主直虎』にも出て来ましたが、あれは浜松。この龍潭寺は井伊直政が佐和山城主になったのを機にこの彦根に作らせました。初代の和尚は昊天さん。『おんな城主直虎』でお馴染みです。なので勝手に親近感が沸きます。
ここには枯山水の庭園があり、ふだらくの庭といわれるお庭です。
これは昊天和尚が作ったお庭だそうです。
平安時代の僧が中国に渡った後、観音様を抱いて帰国する時観音菩薩の導きによりある島に補陀落山寺を建てて観音様を安置されたという故事に因み、その様子を表したお庭だそうです。
真ん中の一番大きな石を観音様に見立て、白砂は海、右側の杉垣が水平線、その上の生垣は雲を表しています。
この書院も映画『関ケ原』で使われていました。
先ほどのふだらくの庭と書院を挟んで反対側にこの庭があります。鶴亀蓬莱庭園です。これも昊天さんと小堀遠州の合作だそうです。テンション上がります。
写真は2枚になってしまいますが、左の島を亀に右の槙木を鶴に見立てているそうです。そして亀島の左にあるのが直下型の枯れ滝龍門瀑というそうです。井伊直弼もこの庭を讃えたそうです。
ずっとお庭を見ていたいのですが、先に進みましょう。
さあ、いよいよ佐和山城本丸を目指します。なかなかの山道です。細い獣道のような所を登って行きます。結構急な坂道です。
だいぶ登ってようやく開けた所に出たので、本丸かと思ったらまだでした。塩硝櫓跡です。山道を挟んで右側には竪堀があるみたいですが、当時の私はまだそこまで詳しくなかったので完全に見逃してました。反省です。
ここまでで15分くらいはかかってますが、まだまだ上に登るようです。
今はほとんどお城の跡が残っていませんが、左側に西の丸、二の丸、三の丸が作られたようです。
狭い山道を30分くらい登ってようやくたどり着きました本丸跡です。結構ハードな道のりでした。
思ったより広々してました。桜もちょうど咲いています。眺めもよく彦根八景だそうです。
右のほうには彦根城も見えます。佐和口多門櫓が見えます。素晴らしい眺めでした。
龍潭寺まで降りてきました。境内には石田三成像がありました。温厚な人柄で民衆からも慕われたという石田三成。元々佐和山城は鎌倉時代初期佐々木定綱が築いたのが始まりと言われているそうで、その後幾度と城主が変わりましたが、やはり私は佐和山城主と言えば石田三成を思い浮かべます。
因みに京橋キャッスルロードに宗安寺があり、そこにある門は佐和山城の物と伝わっているそうです。
2020-04-26 20:36
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