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第11城 ~No.22 八王子城~ [100名城スタンプ]

2018年11月14日、八王子城へ行きました。

八王子城は小田原に本拠地を置いた小田原北条氏の支城の一つで、規模はその支城の中でも最大規模と言われ、三代目北条氏康の三男氏照が1582年(天正10年)頃から築き始めました。

JR高尾駅からバスで5分程、八王子城跡入口で下車。ここから徒歩で本丸を目指します。

静かな住宅街をしばらく歩くと八王子城のガイダンス施設が見えてきます。ここでは年表やジオラマなどで小田原北条氏について詳しく学べます。
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さらに進むと管理棟が見えてきます。ここを左側に行くと北条氏照の館などがあったいわゆる居館地区が、右側に行くと本丸などがあったいわゆる要害地区があります。まずは居館地区へ行ってみます。
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静かな杉林の中を進みます。城山川に沿って道があります。きちんと整備されているので迷うこともありません。
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この辺は堀切の跡でしょうか。
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大手門の跡です。今は埋め戻されているそうですが、調査で門の礎石や敷石が見つかったそうです。ここが八王子城の正面口と考えられています。どんな門が建っていたんでしょうね。
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この道が御主殿に続く大手道と考えられているそうです。川を挟んで御主殿側にも道がありますが、それは江戸時代に作られた林道だそうで、それと区別するために今はこちら側の道を古道と呼んでいます。発掘調査では明確に道が検出されなかったそうですが、門の跡や石垣、尾根の中腹に平坦な場所があることから、ここが大手道だったことがわかったそうです。
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橋が見えてきました。城山川の両岸に橋台石垣が見つかったことで、御主殿にわたるための橋が架かっていたことがわかりました。しかしながら、どんな橋だったかはわからないそうですが、敵の侵入を防ぐためすぐに壊せるような簡単な橋(曳橋)だったのではないかということです。なので、この橋は復元というわけではないそうです。
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橋を渡りました。御主殿があった曲輪の手前です。ここには築城当時の石垣が残っていました。
こういうのはテンション上がります。
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御主殿の入り口に当たる虎口です。ここの特徴はコの字になった階段の通路だというところです。
全面に石が敷かれているのは八王子城独特のものだそうです。石垣や敷石は出来るだけ当時の物をそのまま使っているんだそうです。
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この虎口の踊り場から4つの礎石が見つかったそうです。櫓門が建っていたのではないかと想定されています。この丸い石がその礎石です。
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いよいよ御主殿の入り口です。当時の門をイメージして建てられた冠木門です。八王子城というとこの門の写真をよく見ます。
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広い!
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北条氏照の館があったとされる場所です。発掘調査の結果、たくさんの建物の礎石や水路の跡など見つかり、今はその位置がわかるように整備されています。
ここは主殿跡で、政治的な行事が行われたと考えられています。平屋建てだったようです。
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ここは会所。宴会などを行った場所と考えられています。同時代の建物を参考にして床を再現しているそうです。間取りなども表してあります。
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会所主殿に挟まれるように庭園があります。ここには枯山水の庭があったと推定され、会所から眺められるようになっていたようです。
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会所から庭を見るとこんな感じ。どんなお庭だったのでしょうね。
出土品の中には中国から輸入された五彩皿やベネチアのレースガラス器もあったそうなので、そんな鮮やかな器で食事を楽しみながら、この庭を眺めていたのでしょうか。
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御主殿跡の裏に回りました。
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御主殿の滝です。落城の際、北条方の女たちがここで自刃したと伝わる場所です。その血で城山川の水が三日三晩赤く染まったとか。
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さっき渡って来た曳橋の下に出ました。下から見ると石垣の高さがよくわかります。
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先ほどの分かれ道、管理棟の所まで戻って来ました。これから本丸跡を目指します。徒歩で40分かかるらしく、ちょっと止めようかなと思いましたが、やはりお城好きとしては本丸まで行かないわけにはいかないです。
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ヤバいです。狭くて急な坂道が続きます。途中、完璧な装備の山登りの男性に会いました。ちょっと観光のつもりでジーンズにスニーカーで来ちゃいました。ここは山登りする所だったのか。
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登って10分、開けている所に出ました。金子丸です。この曲輪は金子三郎左衛門家重という人が守っていたと言われているそうです。
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かなりヤバいです。まだまだ険しい山道が続きます。
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登り始めて15分、柵門跡に来ました。尾根の上に作られた平坦地ですが、名前の由来など詳しいことはわかっていないそうです。まだ八合目。八王子神社まで400mって書いてあります。
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途中、とても景色が良い場所がありました。遠くに新宿のビル群が見えました。ここでちょっとひと息。
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登り始めて30分、八王子神社に着きました。何と言うか、なかなかの雰囲気のお社です。
913年(延喜13年)に華厳菩薩妙行が、山中で修行中に牛頭天王と八人の王子に出会い、916年(延喜16年)に八王子権現を祀ったと言われています。この伝説に基づき、北条氏照は築城にあたりこの八王子権現を城の守護神としました。これが八王子という地名の由来なんだそうです。
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八王子神社の南側に松木曲輪があります。ここは中の丸とも二の丸とも呼ばれていたようです。神社の東側には小宮曲輪がありますが、完全に見逃したようです。反省。
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登り始めて40分弱、ようやく本丸跡にたどり着きました。この小さな社はここを守っていた横地監物が祀られているそうです。
豊臣秀吉による攻撃で、八王子城はわずか1日で落城したそうです。先程見た松木曲輪の辺りは前田利家軍、小宮曲輪の辺りは上杉景勝軍に攻め込まれたそうです。
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そんな激しい戦いに思いを馳せながら下山しましたが、登りがきつかったので下りは膝が笑っちゃいました。翌日から3日くらいは普通に歩くのも痛いくらいの筋肉痛でした。普段あまり運動をしない私でも登ることは出来ましたが、かなりハードだったので本丸を目指すにはそれなりの覚悟と装備が必要です。
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第10城 ~No.52 観音寺城~ [100名城スタンプ]

安土城の近くに観音寺城があります。
ここは佐々木六角氏の居城だった山城です。

が、行ってません。
安土城跡から見ると、安土城考古博物館をもう少し先に行ったところなんですが、観音寺城入口でもある観音正寺まで結構距離があり、さらに登城口から本丸跡まで徒歩で35分かかるそうなので、時間がなくて諦めました。

しかし100名城スタンプは安土駅の隣にある安土城郭資料館で押すことが出来ます。
ここにも安土城天主のひな型20分の1スケールで復元してあります。外部も内部も精巧に出来た模型でプラモデル好きなので、結構テンションあがりました。

と言う事で、次は時間を作ってぜひ訪れたいです。
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第9城 ~No.51 安土城~その2 [100名城スタンプ]

黒金門跡です。安土城の中枢部への入り口です。天主に近づいて来た雰囲気がしてきました。この辺りの石垣には本能寺の変後の火災によって焦げたと思われる部分があるそうです。が、見逃しました。また反省です。
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仏足石です。大手道でも使われていましたが、これも石垣に使われていたもので、元々はお釈迦様の足跡を表現したもので崇拝の対象だったそうです。
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二の丸跡です。ここには織田信長本廟があります。羽柴秀吉信長の遺品を埋葬し本廟としました。
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本丸跡です。ここには119個もの礎石が見つかり、その配列から中庭を挟んで三棟建っていたと推測され、天皇の住まいである内裏清涼殿とよく似ていることから、天皇を迎えるための御殿と考えられています。
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本丸を抜けるといよいよ天主です。
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礎石がたくさんありました。ここには地下1階地上6階の7階建ての天主が建っていたと言われています。地面地下1階の部分は面積が狭いようですが、地上1階部分はこの2倍以上あったようなので、周りの石垣は実際はもっと大きく、(京都の清水寺のような)懸け造りで1階部分をを支えていたのではないかという研究もあるようです。天主は中央が吹き抜けになっていたと言われているので、この礎石も中央が空いています。
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ここからの眺めです。実際は高さ33mあったようなので、もっと景色が良かったんでしょうね。見たかったな。当時ここに入る家臣たちからお金を取っていたっていうんですから、凄い発想。しかもここは天皇を迎える御殿よりも高い所にあります。自分は天皇よりも上の存在だと言っているようなものです。本当に凄い人です。
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先ほどの織田信忠邸跡まで戻り、道を右へ行くと総見寺跡です。この先は開けているようです。
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総見寺跡です。信長安土城を築く際、他所から移築したものと伝わります。本能寺の変ではここは焼けなかったようですが、江戸時代末期に
伽藍の一部が焼失、昭和初期に大手道脇の徳川家康屋敷跡と伝わる場所に仮本堂が造られ今に至っています。
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この大手道の右側に仮本堂があります。ちらっとしか映ってませんが。
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ここからも良い景色が見えました。
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三重塔です。これは室町時代の建物で1454年(享徳3年)建立、やはり安土城築城の際、甲賀郡からここへ移築させたそうです。
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道を下りていくと見えてきたのは二王門です。1571年(元亀2年)建立。これも甲賀郡から移築したものです。門内には金剛力士像があります。とても趣のある門です。これらを信長も見ていたのかと思うと感慨深いです。
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更に進んでいくと羽柴秀吉屋敷跡に出ます。これで一周したことになります。
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麓に降りてきました。城なび館というものがあって、ここには安土城ひな型7分の1スケールがありました。天主5,6階部分の模型です。でも復元したものには著作権が発生するらしく、もう忘れましたがこれも著作権が発生するといけないので写真はアップしません。
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安土城考古博物館とそのすぐ近くにある安土城天主信長の館です。
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信長の館は絶対に行ってください!織田信長明智光秀に命じ、徳川家康を接待した時に出されたとされる料理天正十年安土御献立が復元され展示されています。
そして目玉は原寸大で復元された安土城天主最上部5,6階部分の展示です。八角形の5階は柱などが朱塗り、内側には金箔が張られ、襖や天井には狩野永徳と弟子たちが描いた釈迦説法図などの仏教の世界観による理想郷を表現した障壁画が復元され、最上階6階は外壁は金箔で覆われ、内部は黒漆塗り。孟子、孔子などを描いた中国故事に基づいた障壁画が復元されています。その豪華絢爛さは圧巻です。しかしながら、はやり著作権の関係で写真はアップできません。

因みにJR安土駅はこの安土城をイメージした駅舎でした。
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こんな凄い天主が本当に存在していたんだと思うと、やはり織田信長恐るべし。しかもこの安土城全体を提灯で飾り付けライトアップしていたと言うんですから、本当にその発想はどこから来るのかと驚かされます。もしもタイムスリップすることが出来たら、この安土城が存在した時代に行って、ライトアップされたお城を見てみたいです。信長の館ではそのVRも楽しめるのでおススメです!
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